マツダのスタンダード(第五世代〜) その2「2003 MAZDA・RX8」 

第五世代のマツダドキュメンタリー

1978年から3世代続いたRX-7が2002年で生産終了となり、厳しくなった排ガス規制をクリアした新しいロータリーユニットを搭載する後継スポーツカーとして登場したのがRX-8です。2シーターのRX-7から、2+2シーターのRX-8へ変化した経緯については、NHKのドキュメンタリー番組やマツダ関連の各種書籍で書かれていてマツダファンの間では有名な話になっています。マツダの開発陣は2シーターの継続を模索したが、(スポーツカーのことなど何もわかっていない?)フォードから出向していた幹部は断固として2+2シーターしか認めなかった・・・ってのがどの資料にも書かれている共通のアウトラインとなっている。

 

 

フォードとマツダ

ちょっと美談めいたものもあって、少数精鋭のマツダの開発チームは自主的(会社の業務とは別)に試作機を作成していて、フォードの決定権を持つレベルの幹部がテストコースにやってくるタイミングでゲリラ的に試作車を出したらしい。全くの試作段階で完全にじゃじゃ馬でしかないスポーツ車に、フォード叩き上げのカーガイは乗り込むと、マツダ社員の想像を超えるハイペースで周回路を周り、降りてくると「いいクルマだ!!ぜひ市販しよう!!」と涼しい顔で言ったとか。

 

 

格好良すぎる!!

どうやら2つの国の「クルマバカ」がお互いを認め合う最高の瞬間だったらしい。どこかのメーカーの「僕はレースをやってます!!ドリフトもできます!!」みたいなアピールをしてる社長とは、失礼だがまるで次元が違う話だなと思う。フォードとマツダが手を組んで良かったね。めでたしめでたし・・・なんだけど、そこから先が大変だったようでなんとか2シーターのピュアスポーツにしたかったマツダ側はあの手この手でフォード側の切り崩しを図ったらしい。あれだけスポーツカーを操れる日本にはまずいないレベルのエクゼクティブなのだから、感動させてしまえばすぐ取り込めると思ったらしい。

 

 

呑気な時代だ・・・

余談だけど、その頃のト○タにもすごいエクゼクティブがいた。自社のアリ○ト・ターボが世界最速セダンであることを世間に周知させるために、掟破りの宣伝を使っていた。(わざと?)道交法を破って免許取消になる「カミカゼ」的なプロモーション戦略を本当に仕掛けた。フォードやマツダとは全く違う意味で「クルマバカ」だな。現行の法律下で同じことをやれば、危険運転で一発で収監されるだろうし、飲酒運転同様に自動車会社のコンプライアンスではどこも「即日解雇」になる案件だ・・・。

フォードのマネジメントの感覚からすれば、2シーターで比較的に低価格で買えるロードスターがあるのに、さらにもう一台2シーターを作る意味がわからない。ロードスターの世界的なヒットを受けて、メルセデス、BMW、ポルシェ、ルノー、フィアット、オペルなどが同じような2シーターのライトウエイトスポーツを作って飽和気味なのに、なんでマツダだけ2シータースポーツを2車種も作ろうとするのか!?トヨタもホンダも1車種で我慢しているのに・・・。

 

「マツダらしくていい!!」って人も多いかもしれない。今もSUVのラインアップがややダボつき気味ではあるし、いいクルマになりそうだ!!と思ったら、同じようなクルマをいくつでも作りたくなってしまうのかもしれない。今年のWCOTYでまた2部門制覇(イヤーカー&デザイン賞)してしまったら、MAZDA3の設計を使ってちょっと雰囲気が違う派生モデルを作りたくなる!?よりスポーティな「MAZDA4」、ちょっとクロスオーバー風味な「MAZDA5」を出したら、今度はカブリオレの「MAZDA30」!?・・・そんなのがマツダらしくていい。

 

フォード側はマツダのスポーツカー戦略に対して、ロードスターとRX-8を、ポルシェのボクスターと911の関係のようにしたかったのかもしれない。多分そうだろう。カーメディアには確か「実用性を求めて2+2シーター化」とか説明されていたような気がする。確かに当時はミニバンブームが到来していて、核家族には1台の5ナンバーミニバンってのが日本のスタイルになっていたし、知り合いにもいるけど家族持ちだけど定員4人という理由で半ば強引にRX8をマイカーにする人もいただろう。

 

しかし「セダン化」がフォードのマーケティングの狙いだと断定気味に結論するレビューにはどこか違和感を感じていた。どう考えても99.99%の人は4座だからファミリーカーにしよう!!とは思わないし、それがわからないほどフォードのマーケティングは幼稚なはずがない。当時のフォードグループにはアストンマーティンもジャガーもあって、007の映画タイアップにアストンマーティン・ヴァンキッシュ(2000年〜)とジャガーXK(1996年〜)が同時に使われてたりした。ちなみにどちらも2+2シーター(ヴァンキッシュはオプション)だった。

 

フォードとマツダが合意していた構想では、欧州市場を中心にヴァンキッシュ、XK、RX8の3グレードの2+2を設定し、水冷化してやや勢いを失っていたポルシェ911に代わり、欧州に新しい「ルール」を打ち立てることを青写真として描いていたのだろう。長男はV12、次男はV8、三男はロータリー・・・完全無欠なグループ協力体制だ。あまりに凄まじいアメリカ企業のマーケティングビジネスは、競合他社を不必要に刺激し、予想だにしない反発を招いた。

 

2006年にアウディがランボルギーニのコンポーネンツで「R8」を発売。2007年に日産がGT-Rを発売。2008年にリーマンショック。フォードグループ3兄弟はなんでFR車ばっかりなんだ!?マニアの世界のクルマだったイタリアン・スーパーカーが堅実なドイツメーカーから登場。当然ながらカリカリの高回転ユニットを継承。さらにAWDスポーツの決定版にして世界のスポーツカーの常識を変えてしまう変態マシンGT-R。こんなのが後から出てきたら、そりゃ既存のスポーツカーは全部消えるよ。NSX終了(復活まで10年)、ランエボ終了も仕方ない。先代技術のスープアップだけでは絶対に勝てない。

 

ありえないくらいの2007年

福野さんも一冊の本にまとめているけど、リーマンショック前夜の2007年頃の世界的な自動車メーカーの熱狂・成熟は、歴史的にも「ピーク」だったのかもしれない。どっかでモーターショーがある度に、アウディ、日産、レクサス、ランドローバー、アルファロメオ、ポルシェ、アストンマーティン、ジャガー、さらにプジョーやシトロエンもとにかく「映える」新型モデルとライフスタイルを目一杯にアピールしていた。ちょっと乗り遅れた感じのホンダも、リーマンショックがなければ、V10のNSX発売とアキュラの日本導入が行われていたはず。

 

 

無念

RX8は「マツダ版の911」として長い歴史を刻む予定だったかもしれない。実際に10年、20年と開発の年月を重ねイヤーモデルとして着実に進化を遂げていれば、2020年モデルの現在地は「992型」を射程に捉えるところまで行っていたかもしれない。ちょっと骨太なシャシーの作り込みや、厚みのあるドアだったりと、開発当初から設計者の頭の中には「ある種」のお手本があったのだろう。そしてそれは当時のマツダが欧州に構えていた拠点(シュッツットガルト)のクルマだったんじゃないか!?と思う。

↓2007年の熱狂を描いた福野礼一郎氏の名著